輪廻転生の物語:ホチキスが語る「天策」の由来

萬物に霊あり

私は、周りの生命体の中には、並外れた起源と歴史を持つものがたくさんいると感じています。本日はホチキスの物語をお話ししましょう。

資料室には2つのホチキスがあるのですが、そのうちの1つは、書類を綴じる際にとても大きな音がします。長らく、その大きな音をどうにか小さくできないかと悩んでいました。私だけでなく、一緒に修煉している仲間たちも同じように考えていました。「もう少し静かに綴じてくれ」とホチキスに話しかけても、なかなか効果はありませんでした。

ある日、ホチキスを使っている時に、「なぜこんなに大きな音がするのだろう?」と考えました。すると、ホチキスが話し始めたのです。「私は前世、太鼓だったんだ」と。なるほど、前世が太鼓だったから大きな音が出るのか、と合点がいきました。

さらにホチキスは、「私は天策玄甲(てんさくげんこう)の鎧だった」と言いました。私は驚きました。三千人の天策玄甲兵は今生はみな大法修煉者に生まれており、物に生まれるはずがないと思ったからです。しかしホチキスは、「私は鎧だったんだ。天策玄甲兵の鎧」と説明してくれました。

その鎧は、秦王・李世民が率いた玄甲兵の一人、張甲という兵士の鎧だったそうです。玄甲兵は、一対十の戦力を持つ精鋭部隊で、鎧は主人を保護し、戦場で活躍しました。鎧は、主人に装着され、戦場を駆け巡る熱狂的な感覚を今でも覚えています。また、主人の美しい妻や二人の息子たちに磨かれ、主人の武勇伝を聞かされる度に誇らしさを感じたそうです。

もう一つのホチキスは、とても短い切れ味の良い音を出します。このホチキスもまた、私と話す機会がありました。それは、「私も天策玄甲兵の鎧だった。あの鎧は天界の造りで、天界から玄甲兵に授けられたものだった」と言いました。その言葉に私は深く頷きました。なぜなら、三千人の天策玄甲兵は天定の数であり、彼らの鎧は天界の造りであったからです。

このホチキスの主人は王猛という兵士で、非常に勇敢な人物でした。ある戦いで主人が敵の槍に刺された際、主人自ら槍の柄を削り取り、戦い続けたそうです。その時の主人の勇猛さを、鎧は今でも鮮明に覚えています。

さらに驚くべきことに、このホチキスは、主人の体内に神様が特別な力を入れたことを知っていました。それは、主人が戦場で負傷した際、神様が傷口に特別な力を入れて治癒させたという出来事です。そして、その主人が今、この世に生まれ変わっていることを教えてくれました。

「私の前世の主人は王猛という名前で、非常に勇敢な戦士でした。ある戦いで、敵の槍が主人を突き刺した時、主人は刀で槍の柄を削り落とし、戦い続けました。その時の主人の勇猛さに、私は心から感銘を受けました。私は鎧として、主人を護り、共に戦場を駆け抜けました。後に、主人の傷口から槍の頭を抜き取ると、肉も一緒に引きちぎられてしまい、主人は歯を食いしばって痛みを堪えていました。私はその姿を見て、主人が真の戦士であることを確信しました。主人の脚には大きな傷跡が残りましたが、主人の体質は非常に丈夫でした。実は、その理由があるのです。それは、私だけが知っている秘密です。ある夜、主人が鼾をかいて寝ている時、私は部屋の中央に行き、少し体を動かそうと思いました。すると、部屋の外から光が差し込み、戸が開いていないのに、神様が現れたのです。神様は小さな瓶を持っており、そこから何かを取り出して、主人の傷口に置くと、息を吹きかけました。そして、神様は去っていきました。私は急いで主人のもとに戻り、様子を見ましたが、主人は相変わらず寝ており、何も気づいていないようでした。しかし、神様は間違いなく主人の傷を癒してくれたはずです。そして今、私はこの世で主人と再会しました」

その人物は私も知っている修煉者で、彼は神韻芸術団の公演を見た際に、玄甲兵の場面を見て感動し、自分がかつて玄甲兵の一人だったと感じたといいます。

天策玄甲といえば、大唐の秦王・李世民を思い出すでしょう。隋の末期、天下が乱れる中、李世民は唐王朝を興し、天下統一を目指しました。玄甲軍は、李世民が率いた精鋭部隊であり、数々の戦場でその勇猛さを発揮しました。

『資治通鑑』には、李世民が玄甲軍を率いて洛陽を攻め、王世充を破り、竇建徳(とう けんとく)を捕らえたことが記されています。その武功により、李世民は天策上将軍の称号を授かり、玄甲軍は「天策玄甲」と呼ばれるようになりました。

洛陽の戦いは長期戦となり、王世充は秦王・李世民に劣勢に立たされ、竇建德に救援を求めました。竇建德は十万の大軍を率いて救援に駆けつけましたが、李世民は武牢に軍を進め、竇建德の軍を迎え撃ちました。武牢関の戦いにおいて、李世民は玄甲軍を先頭に立て、三千騎が敵陣に突撃しました。程咬金、秦叔宝、史大奈、宇文歆といった勇猛な将軍たちが旗を振って敵陣に突入し、敵軍の陣形をあっという間に突破し、敵兵は崩壊しました。李世民は竇建德の十数万の大軍を破り、竇建德を生け捕りにしました。この戦いの結果、王世充は恐れおののき、二千人以上の官吏を率いて李世民の陣営に降伏しました。李世民はこの武功によって唐の高祖から天策上将軍に封じられ、他の諸王よりも高い地位に就きました。そして、彼が創設した玄甲軍は「天策玄甲」と呼ばれるようになりました。「天策」とは、天が選んだという意味です。

また、『全唐文』には、李世民が観世音菩薩の加護を受けたという記録が残っています。これは、李世民の武功が天意によるものであることを示しています。

歴史は、あるシナリオに従って展開されていくものです。李世民は天命を受けた君主であり、玄甲軍は天意が具現化した存在だったのです。

ホチキスのような小さな物にも、このような壮大な歴史が隠されていることがあります。かつては主人を守り、戦場で活躍した鎧が、今は書類を綴じる道具に生まれ変わっている。このような生命の輪廻転生は、とても興味深いものです。

おすすめの記事